53年を駆け抜けた? 過去帳に残る祖母の人生を想像してみた

お盆休みの中でも15日って特別な日に感じます。
正午に黙とうした人って多いのかな?

子供の頃はテレビで高校野球を応援していたら急に試合が中断。
サイレンに合わせて球児が一斉に帽子を脱いで坊主頭を下げていて、私も見よう見まねで黙とう。
大人になった今ではもっぱら仏壇に向かってチーン!
今日は過去帳をめくりながら手を合わせました。

今日は父方の祖母のお話。
「いよ」という名前で、それだけで松本伊代さんの顔が浮かぶのですが(笑)
過去帳をめくると私が生まれるずっと前、昭和29年に亡くなっています。
享年を見たら53歳!
うわ~お、今の私と同い年、なんか焦ってきた(-_-;)

戸籍を見ながらいよさんの人生を追ってみると……。
20歳ごろに結婚した後、7人子供を産んでいます。
父のすぐ上の兄にあたる子は生後間もなく死去してますね。
ようやっと大きく育てたであろう長男はビルマで戦死しています。

44歳の時に日本ボロ負けで戦争終了。
起死回生を狙ったいよさんの夫(つまり祖父)が興した事業も途中であえなく頓挫。
なんとか一番下の息子を高校に進学させた頃に亡くなっています。
脳溢血だったとうちの父が言っていた気がする。
引っかかるのは、祖父母は一度離婚して復縁している。
何があったんや⁉
安定のあの字もなさそうな波乱万丈一生。
駆け抜けたね~。

私も平坦な人生ではないけど、明治女の人生と比較するのはおこがましい感じ。
それでも53歳で終わりはないわー。
苦労が多かったと思われるいよさん、もうちょっと長生きしてたら昭和の高度成長期を楽しめたのに。

父の葬儀のとき、一番下の叔父に「いよさんてどんな人だったの?」と聞いてみました。
「あんたのお母さんに似てたよ」
ぎょ!Σ(・□・;)
うちの父、マザコン説が浮上。

今はもう、いよさんが産んだ子供たちはみな生涯を終えました。
あちらの世界で穏やかに一家団欒できてるといいんだけど。

いよさんが見られなかった54歳以降の人生。
私はなるべく長く見られるように健康でいないとですね。